2005年07月24日

洗わないよりは洗ったほうがいいよね!

都立公園を巡って、その土地の歴史について調べてしまおうということで第一回目は「都立青山公園」に行ってきました!


この公園は北地区と南地区に分かれていて、北地区はみんなの休憩場という感じでした。向かいのベンチに人生が何もかも嫌になったようなカップルがいて、暗い気分になるのは嫌だったので遠くでホットペッパーのCMのようにアテレコして遊んでました。

南地区は運動場と石碑がありました。運動場は子供たちのスポーツ教室などをやってるみたい。丘を登っていくと草木生い茂る中歴史を語る石碑があります。
要約するとこんな感じ。
この赤坂・麻布・青山の地には縄文時代から人が住んでいて、平安時代には農耕を守護する神として竹千代稲荷や朝日神社が建てられ、鎌倉時代には武蔵国の荘園として鎌倉御厨があって源頼朝が伊勢大神宮への供物をここから調達した。当時の麻布は百姓町で地味で人通りもまばらだったという。明治時代になると近衛歩兵隊が駐屯し終戦とともに近衛歩兵隊の歴史の幕を閉じることになった。現在東大生産技術研究所に使用している鉄筋コンクリート造り3階建て楕円形の建物は関東大震災のときに倒壊した兵舎を再建したものである。

隣には日米の陸軍があって上半身裸でトレーニングしてるお兄さんがいました。やっぱり鍛えている人って裸になっても様になるなーと思ってた矢先、草陰で全裸のおじさんを発見!いや、まじでびびりましたから!公園の水道使ってレモン石鹸で体洗っちゃってるよー;;おじさんの裸はとてもじゃないけど見れたものじゃありませんでした、ちゃんちゃんるんるんぐふっがく〜(落胆した顔)

青山公園からの眺め



そうそう、予定外に有栖川宮記念公園にも行ってきました。ここでも石碑にちゃんと歴史が記してありました。石碑の内容は以下の通り。

この地一帯は元盛岡藩主南部美濃守の下屋敷だった明治29年有栖川宮家の御用地となり大正2年高松宮殿下がこれを受け継がれた。殿下は都民の保健に深く心を寄せられ、多年に渡り小学校の郊外教授などに利用させ、また一般児童の入園も許しておられたが昭和9年1月御用地の一部を有栖川宮家の記念として本都に御寄付されたのがこの公園である。本都はその御主旨に沿い直ちに造園工事に着手。同年11月これを完工し広く都民に開放したものである。

東京都

位置 港区麻布盛岡町広尾町
面積 3560112平方米
開園 昭和9年11月17日


ま、とにかく高松宮殿下は太っ腹だったと。うん。

有栖川宮記念公園の滝


同行者:XI
飯:親子丼(大和鮨ランチ)←鮭といくらね。
posted by トム at 17:33| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 公園 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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青山公園ツーリング
Excerpt: トラックバックしたよ〜☆
Weblog: XI-Chedelic Fortress
Tracked: 2005-07-26 20:56
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